「喜びに変えてくださる方」  08.08.10
                   ルカ福音書 7:11〜17
                    朝位憲義神学生

 イエスが町の門に近づかれると、ある母親の一人息子が死んで、
棺が担ぎ出されるどころだった。主はこの母親を見て、憐れに思い、
「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れ
られると、イエスは、「若者よ、あなたに言う、起きなさい」と言われた。
 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその
母親にお返しになった。「神はその民を心にかけてくださった」。
 私たちがこの世の中で、生きている意味が見出せずに、喜びも希望も
なく、ただ虚しく時を過ごして生きている時に、神様は「喜びや希望を
持って生きよ」と語りかけて下さっています。
 人は厳しい現実を知らされた時、悲しみの時に、こんな辛い毎日が
続くのならば、もう自分なんて生きていてもしょうがないじゃないかと、
この悲しみから逃れたいと絶望感に支配されてしまう時があります。
 その時に、泣くことによって悲しみを慰め、他人の同情による慰めの
言葉を得て、慰め(救い)を求めようとします。しかし、人間だけの慰め
には限界があります。そこには本当の慰め(救い)はありません。
 しかし、私たちが主イエスと出会った時に、思いもよらない恵みを
下さいます。主イエスの慰めの言葉には悲しみを喜びに変える力が
あります。主イエスの深い憐れみには私たちとは比べられないほど
激しく心を動かす力があるのです。なぜならば、主イエスは十字架上で
死を克服し、死に勝利されたお方であるからこそ、私たちの死の
悲惨さや深い悲しみを誰よりも知っています。
 このナインのやもめの息子が死者の中から蘇える奇跡は、
ただ復活を強調しているだけではありません。
 それは、私たちが神様の御言葉に耳を傾け、この世の中の
辛い現実に直面した時にも喜びと希望を持って生きるようにと
語りかけてくださっているのです。
 この悲しみから喜びに変えてくださる主イエス・キリストの
御言葉を聞かされた者として歩んで行きましょう。